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* 2001/09/03 *

長い夏

−「空蝉に花束を」−
空蝉に花束を
空蝉の身をかへてける木のもとに
なほ人がらのなつかしきかな


『源氏物語 空蝉 第五段「源氏、空蝉の脱ぎ捨てた衣を持って帰る」』


盆が過ぎて涼しくなってくると、セミの声もずいぶんまばらになった。
庭でアブラゼミの死体を拾ってみる。頭が無くなって、中身は空っぽ。
お尻にもすっぽり大きな穴が開いていて、これはまさに空蝉だと思った。

顔のないアブラゼミ

空蝉とは、「この世の人」を表す「ウツソミ(現臣)」から転じた言葉。
平安時代に万葉集のウツセミを空蝉と解したことから、
蝉のぬけがらの意味になり、「はかない」を意味するようになったらしい。
また、『源氏物語』第三巻の巻名(と、その女主人公の名)にもなっている。
空蝉は伊予の介の妻で、源氏に言い寄られるが、後に尼となった。

夏のはじまりとともに幼虫の殻を脱ぎ、
夏の終わりとともに成虫の殻を脱ぎ捨てて去るセミというイキモノ。
セミの中に詰まっていたのは、夏そのものである。

幼虫の抜け殻を拾い集めた覚えはあるが、
成虫の抜け殻というものを認識したのは今年が初めてだった。
それは「過ぎ去った夏」という目に見えないモノを実体化していた。
あれだけ暑苦しくてウンザリした今年の夏も、過ぎてみると懐かしい。

かの薄衣は、小袿のいとなつかしき人香に染めるを、身近くならして見ゐたまへり。

源氏のように、夏の香が染み込んだ空蝉という衣を側近くに置いて見てみる。
手近にあった百日紅(サルスベリ)の落ち花を空蝉の空洞に差して遊んでみた。

かのもぬけを、いかに、伊勢をの海人
のしほなれてや、など思ふもただならず、いとよろづに乱れて。


セミや夏も、思い乱れているかもしれない。

参照:高千穂大学教養部教授 渋谷栄一氏「源氏物語の世界」


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